誰がつくったのか、読み方も分からない、 幽霊のような文字、幽霊文字の世界。

今回出題した幽霊文字に、正式な読み方は現在のところありません。それは「幽霊文字」が、何かのミスで生み出された文字だからです。幽霊文字が生まれた要因は、1970年代のJIS漢字制定の際、転記ミスによる怪しい字がいくつも入り込んでしまったことにあります。その検証には、「国土行政区画総覧」など3メートル以上の資料を1字ずつ調査するという証拠の探究が必要でした。また、ミスから生まれた幽霊文字の中には、過去から細々と存在していた漢字と形だけが一致したケースもあります。ここでは出題した幽霊文字が誕生した背景を解説します。

参考文献 笹原宏之『日本の漢字』岩波新書、同『国字の位相と展開』三省堂、芝野耕司編『JIS漢字字典』日本規格協会

早稲田大学大学院教授/日本漢字学会評議員笹原宏之先生による解説

  • Q1

    妛

    【解説】

    そっくりな漢字に「シ」と読む字がありますが、JIS漢字にこの字が採用されたのは、滋賀県の「妛原」と書いてアケンバラと読む地名からでした。「アケビ」を「山女」と書いてそれが縦に合わさった字があり、それを印刷するときに上下を貼り合わせたら影のような横線が出てしまい、それを字画と見誤って生まれた字です。

  • Q2

    墸

    【解説】

    安堵(あんど)するの「堵」という字をJIS漢字に採用する過程で、旁の「者」を見誤って草冠を足してしまったものと考えられます。おそらく躊躇の「躇」のような字が混ざってしまったものでしょう。

  • Q3

    挧

    【解説】

    木偏に羽で「栩」と書いて音読みはク、「とち」「くぬぎ」などと読む名字や地名があります。これを転記する際に、木偏を手偏のように書いてしまい、この字に変わってしまったものと考えられます。

  • Q4

    槞

    【解説】

    木偏に龍という字の略字として、JIS漢字に採用されたものかと見られていましたが、そこで使われていた地名の資料を精査したところ、「境」という字を少し雑に書いた形が「槞」に見えてしまった可能性が極めて高いことが明らかになりました。

  • Q5

    駲

    【解説】

    旁の「州」から「シュウ」と読むものもありますが、元は「馴」つまり「馴れる」という字を書き間違えたものと考えられます。人の名前に使われていたと言われていて、実際に「馴」を書こうとして、「洲」「酬」などと混ざってしまって「駲」と書き間違えてしまう人が今でもよくいます。

  • Q6

    椦

    【解説】

    群馬の地名や名字に「橳」と書いて「ぬで」と読むものが「橳島」としてあります。学校名にもなっています。これを転記する際に、それを知らない人が真ん中の「月」を書き損ねてしまい、「椦」という形になったものです。

  • Q7

    蟐

    【解説】

    虫偏に當と書いて「蟷」という字があり、蟷螂でカマキリを表します。これを転記する際に「田」の部分を「巾」と写し間違って、そのままJIS漢字に採用されたものと考えられます。

  • Q8

    暃

    【解説】

    地名や学校名に「杲」(コウ・ひので)や「晁」(チョウ)があり、そのどれかを転記する人が間違って「暃」と書いてしまったものと考えられます。

  • Q9

    彁

    【解説】

    この字だけは、1978年にJIS漢字にどうして入ったのか、確かな証拠が最後まで得られなかったものです。状況証拠を積み重ねると、「彊」という字があって、作業の途中でガリ版刷りのために点画がかすれてしまい、転記する際に「彁」と間違われたという可能性が高いと考えられます。この仮説が正しければ、キョウと読むのが正解ともいえますが、カ、セイなどという推測が辞典などではなされてきました。

プロフィール

ささはら・ひろゆき 1965年、東京都生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得。博士(文学)。文化女子大学専任講師、国立国語研究所主任研究官を経て、現在、早稲田大学 大学院教授(ティーチングアワード受賞)。日本漢字学会の評議員。文部科学省文化審議会国語分科会で常用漢字、法務省法制審議会で人名用漢字、経済産業省のJIS漢字の改正や策定等に携わる。『新明解国語辞典』(三省堂)、中学校教科書『現代の国語』(同)、『日本語学』(明治書院)の編集委員、NHKの放送用語委員なども務める。著書に『日本の漢字』(岩波新書)、『訓読みのはなし 漢字文化と日本語』(角川ソフィア文庫)、『当て字・当て読み漢字表現辞典』(三省堂)等があり、『国字の位相と展開』(同)により第35回金田一京助博士記念賞、第11回白川静記念東洋文字文化賞を受賞。